![]() 出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
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![]() 出演作品:『ヴァン・ゴッホ』
1922年12月13日パリ生まれ。第二次大戦後、寄席芸人として活動。次第に映画の役を得るようになり、『赤と黒』(54)、「チャタレイ夫人の恋人」(55)、『スパイ』(57)といった作品に次々登場し、『モンパルナスの灯』(58)にはレオポルド・ズボロフスキー役を演じた。一方、50年代より舞台でも活動。80年代は教える側にまわるが、本作で10年振りに映画出演し、セザール賞助演男優賞にノミネート。そのほか主な出演作として、『おかしなおかしな訪問者』(93)、ソフィー・マルソー主演『恋人たちのアパルトマン』(93)、また短篇「Le mère」(95)ではナタリー・バイの父役を演じた。1998年2月1日メゾン・ラフィットの病院で死去。
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1950年9月25日フランス中部アンドル県ル・ブラン生まれ。15歳よりクロード・ヴィリオの演技クラスを受講。ルイ・ド・フュネス主演『グランド・ヴァカンス』(67)の学生役を得て映画初出演。主な出演作は、『雪どけ』(71)、『夕なぎ』(72/息子役)や、アラン・ドロン主演作『燃えつきた納屋』(73)、「未知の戦場/ヨーロッパ198X」(79)と「ポーカー・フェイス」(80)、クロード・ルルーシュの「マリアージュ」(74)と『夢追い』(79)、ミシェル・セロー共演「二つの影の底に」(80)『哀しみのスパイ』(94)、『私の男』(96)、「コナン大尉」(96)、「肉体の学校」(98)、「エンジェル」(01)など。「記憶の森」(01/ザブー・ブレトマン)ではセザール賞助演男優賞を受賞。また、クロード・シャブロル『悪の華』(03)と『石の微笑』(04)にも連続出演している。本作ではテオ役を好演し、劇中ピアラとの共作による歌も披露してセザール賞助演男優賞にノミネート。
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10月16日パリ郊外ブローニュ=ビヤンクール生まれ。父アルベールは著名な物理学者。86年からフロランの演劇コースで演技を学び、89年よりフランシス・ユステールの自由クラスを受講し、同年ルネ・フェレの「Baptême」で映画初出演。本作では当初画家のモデル役を得るが、その力量がピアラに認められキャシー役に昇格した。本作での好演によりセザール賞有望若手女優賞の候補となり、ミシェル・シモン賞を受賞。翌年もクリスチャン・ヴァンサン監督「Beau fixe」(92)で好演し、セザール同賞の候補となり、ロミー・シュナイダー賞を受賞。『ミナ』(93)もセザール同賞候補となり、95年ミス・ボールガール賞を受賞するなど、着実に若手演技派の地位を確立する。そのほかの出演作は、『ジェファソン・イン・パリ』(94)にラファイエット夫人役で登場した他、『カストラート』、歌も披露した『恋人たちのポートレート』(95)、「正装のご用意を」(96)、クリスチャン・ベール共演「Metroland」(97)、「ねじれた愛」(98)、『葡萄酒色の人生 ロートレック』(98)、『モディリアーニ 真実の愛』(04)など。また、『ずっとあなたを愛している』(08)での熱演でセザール賞助演女優賞を受賞。ラウル・ルイスは『見出された時』(99)以来、「夢の中の愛の闘い」(00)、「その日」(03)、「La maison Nucingen」(08)で主演させ、亡き後に彼の妻バレリア・サルミエントが完成させた『皇帝と公爵』(12)にもゲスト出演している。
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![]() 脚本:『ポリス』、『悪魔の陽の下に』
22歳の時、『愛の記念に』に製作管理として参加。その後、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』では脚本を担当。91年にはピアラとの間に息子アントワーヌをもうけ、その息子とドパルデューの共演による「パパと呼ばないで」(94)の脚本と台詞をピアラと共同執筆。ピアラの死後、シルヴィー・ピアラと名乗り、製作会社Warsoを興して、ピアラの遺稿を基にした「Meurtrières」をパトリック・グランペレの監督で製作。以後『ぜんぶ、フィデルのせい』(06)、「キューブ・ホスピタル」(08)、『最高の人生をあなたと』(11)、「理性をなくすほど」(12)、「La reliseuse」(13/ギヨーム・ニクルー)などを製作している。
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![]() 編集:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
出演:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』
1946年1月25日生まれ。トリュフォーの『野性の少年』(69)で編集助手として付き、『家庭』(70)の後、『恋のエチュード』(71)で編集監督に昇格。以来、トリュフォーの『私のように美しい娘』(72)、『アメリカの夜』(73)、『アデルの恋の物語』(75)、『トリュフォーの思春期』(76)はもとより、『スウィート・ムービー』(74)、「町のひと部屋」(81/ドゥミ)、「人生はロマン」(83/レネ)など次々担当。ピアラとは「ルル」(80)で組み始めるが、『愛の記念に』(83)の仕事の合間を縫ってトリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』(83)にギャング役で出演。85年は『ポリス』(セザール編集賞候補)に編集と共にデデ役で出演し、ピアラも出演したブリジット・ルアン監督・主演の短篇「Grosse」の共同脚本を担当。『悪魔の陽の下に』(セザール編集賞候補)には編集と共にガレという大役を演じた。翌年、マリリン・カント、ルアンらと共演した短篇「Quand je serai jeune」を監督し、『ポリス』の脚本家カトリーヌ・ブレイヤの『ヴァージン・スピリト』の編集も担当。その後も『ヴァン・ゴッホ』(91/無記名)、『ギターはもう聴こえない』(91)、『愛の誕生』(93)、「お気に入りの息子」(94)、『ネネットとボニ』(96)、「マリオン」『ニノの空』(97)、『倦怠』(98)、『レディ・チャタレイ』(06)、『灼熱の恋』(11)など多数の作品を手がけている。
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![]() 助監督・配役・出演:『愛の記念に』、『悪魔の陽の下に』
1957年12月19日ヴェルサイユ生まれ。ピアラの「ルル」(80)に助監督として参加。『愛の記念に』(83)では助監督を務めると共に、ジャン=ピエール役で出演した。『悪魔の陽の下に』ではキャスティングを担当。93年、自伝的内容の長篇監督作でのちにセザール賞作品賞、第一回監督作品賞をW受賞する『野性の夜に』に取り組み、話題を集めるが、完成後AIDSによる闘病生活を始め、1993年3月5日地元ヴェルサイユの病院で死去。
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![]() 衣装:『ヴァン・ゴッホ』
1979年コスタ=ガヴラスの「Clair de femme」で衣装デザイナーとなり、同監督の「ハンナK.」(83)、「La petite apocalypse」(93)、「アーメン」(02)、コリーヌ・セローの「ファンタスティック・カーニバル/フランス式CMの作り方」(82)、『赤ちゃんに乾杯!』(85)を始め、『カウチ・イン・ニューヨーク』(96)、「ねじれた愛」(98)などをデザインし、「サン・シール」(00)でセザール賞衣装賞を受賞した。また、TVの文芸作品などや時代物も多数手がけ、特に人気シリーズ『王立警察 ニコラ・ル・フロック』(09-)でも高く評価され、賞などを受賞している。
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![]() 美術:『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
1984年ヤニック・ベロンの「ぺてん」で美術監督助手として映画界入り。当初予定していたデザイナーの都合がつかず、『悪魔の陽の下に』(87)で美術監督に抜擢される。続く本作では、前作では石切工役で登場した大工主任のフィリップ・パリュと共にセザール賞美術賞にノミネート。それまで発音近い綴りVischkofで活動していたが、『絹の叫び』(96)より本名の綴りに戻す。以後、「肉体の学校」(98)、「故郷への旅」『オーギュスタン 恋々風塵』(99)、「感傷的な運命」(00/セザール賞候補)、『私の妻はシャルロット・ゲンズブール』(02)、『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(03)、『フレンチなしあわせのみつけ方』(04)、「ラブ・クライム」(10)などを手がける。ピアラ亡き後ピアラのスタッフたちと組むようになったフランソワ・オゾンと『ふたりの5つの分かれ路』(04)、『ぼくを葬る』(05)、『エンジェル』(07)、『ムースの隠遁』『Ricky リッキー』(09)、『しあわせの雨傘』(10)でコラボレーションを続けた。『マリー・アントワネットに別れを告げて』(12)でセザール賞美術賞を受賞した際は、美術監督デビューさせたピアラへ謝辞を捧げた。
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![]() 脚本・美術:『愛の記念に』
ピアラの親友クロード・ベリの妹。ピアラの「裸の幼年時代」「ルル」のシナリオに参加し、『愛の記念に』では脚本と台詞に加えて美術も担当。その後、編集監督に転身し、『チャオ・パンタン』(83)、『愛と宿命の泉』(86)など。兄の「Uranus」(90)、『ジェルミナル』(93)や、ガレル『夜風の匂い』(99)、『白と黒の恋人たち』(01)、『恋人たちの失われた革命』(04)、『愛の残像』(08)、「La jalousie」(13)といった作品に参加。
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![]() 製作:『愛の記念に』、『ポリス』、『悪魔の陽の下に』、『ヴァン・ゴッホ』
1941年4月7日生まれ。レコード会社エラートの主任からゴーモンの主任となり、『魔笛』(75)の配給と『さよならの微笑』(75)で成功。、『ノスフェラトゥ』(79)、『女の都』(80)、『ノスタルジア』(83)といったアート作品や、『ドン・ジョヴァンニ』(79)、『カルメン』(83)といったオペラ映画などを手がける。「ルル」『愛の記念に』『ポリス』をゴーモンで製作させ、『ヴァン・ゴッホ』を自身の映画会社Erato Filmsで製作するなどピアラ作品のプロデュースに最も力を入れた。ゴーモンを離れてからは、サシャ・ギトリ作品のリメイク「Désiré」(96)、『カドリーユ』「Le comédian」(97)や、コメディ・フランセーズ上演のモリエール作品の全作収録企画などにも携わる。ユニフランスの代表としても活躍し、03年2月はシャブロルの『悪の華』上映のためベルリン映画祭に参加したが、急激な温度差により心臓発作を興し、2月11日に急死した。
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