スタッフ

監督・脚本:フィリップ・ファラルドー

監督・脚本:フィリップ・ファラルドー

1968年、ケベック・ハル生まれ。85年にオタワ大学でカナダ政治学を、ケベックのラヴァル大学で国際関係学を学んだ後、TVシリーズ「La Course destination monde」(世界各地で撮った短編映画で優劣を競いあうコンテスト番組)に挑戦。そこで20本もの作品を監督し、IDRC賞を獲得し優勝を飾る。95年、NFBC(カナダ国立映画制作庁)のドキュメンタリー『Le Sort de l'Amerique』の共同脚本家としてジャック・ゴドブー監督に協力。
2年後、NFBCで、カナダの中国系移民についての中編ドキュメンタリー『Pate chinois』(97)を監督。この作品はモントリオール映画祭にて上映され、ヨークトン映画祭で最優秀脚本賞を受賞。00年に、初めて監督した長編映画『La Moitie gauche du frigo』は、カナダで大きな成功を収め、ロッテルダム、ロンドン、パリ、シアトル、バンクーバー、モントリオールといった各国映画祭でも上映。トロント映画祭ではシティTV賞(最優秀初監督カナダ映画賞)、ジニー賞では、クロード・ジュトラ賞(最優秀初監督カナダ映画賞)を受賞した。
2作目のカナダ・ベルギー・フランス合作作品『Congorama』(06)は、マイクロ・スコープのリュック・デリーとキム・マックルーとの最初の仕事となった。本作は、ケベックとヨーロッパで劇場公開され、カンヌ映画祭監督週間のクロージング作品として上映されたのを皮切りに、ミュンヘン、ナムール、トロント、ニューヨーク、釜山、イエテボリの各国映画祭で上映。ジュトラ賞では、作品賞、監督賞、脚本賞など5つの賞に輝き、ジニー賞でも脚本賞を獲得。
3作目の『本当に僕じゃない!』(08・<2009年ケベック映画祭にて上映>)は、ブリュノ・エベールの小説の映画化に挑戦。ベルリン国際映画祭のジェネレーション部門でプレミア上映され、クリスタルベア賞とドイツ児童映画賞を受賞し、カンヌ映画祭ジュニア部門ではグランプリも獲得。60以上の映画祭に招待され、約40カ国にセールスされた。カナダでも、ハリファックス映画祭で最優秀カナダ映画賞を受賞し、バンクーバー映画批評家協会最優秀カナダ映画賞にも選ばれた。
4作目となる本作では、エヴリン・ド・ラ・シュヌリエールの舞台劇「Bashir Lazhar」を映画化し、トロント映画祭で最優秀カナダ映画賞を獲得したほか、ロカルノ映画祭とロッテルダム国際映画祭で、いずれも観客賞を受賞。米・アカデミー賞Rの外国語映画賞にもノミネートされ、カナダのジニー賞では6部門、ジュトラ賞でも7部門で受賞した。

原作・出演:エヴリン・ド・ラ・シュヌリエール

原作・出演:エヴリン・ド・ラ・シュヌリエール

1975年生まれ。ソルボンヌ大学で現代文学を、パリのミシェル・グランヴァル校で演劇を学ぶ。作家兼女優として、ケベックやヨーロッパで上演されたいくつかの戯曲を執筆。それらは、複数の言語に翻訳されている。「Strawberries in January」「Au bout du fil」「Henri et margaux」「Aphrodite en 04」「L'Heritage de Darwin」「Bashir Lazhar」「le plan americain」など、彼女の作品の特徴は人間性を正確に捉えた観察と表現である。
06年には、「Desordre Public」でカナダ総督文学賞を受賞。09年には、エスパスゴー劇場のシーズンプログラムの1本となった「Les pieds des anges」でもカナダ総督文学賞・演劇文学にノミネート。09年の戯曲「L'inposture」は、テアトル・ド・ヌーボー・モンドにて上演された。
彼女はヌーボー・テアトル・エクスペリメンタルで今は亡きジャン・ピエール・ロンファールの監督のもとでいくつもの作品に携わり、手ほどきを受けた。そこでパートナーを組んだダニエル・ブリエールとは今でも定期的に仕事をし、最近では「Ronfard, nu devant son mirroir」が2011年3月にエスパス・リーブルにて上演された。
女優としても、ガエル・ディングルマール監督『Le Colis』(11)、ジャン=マルク・ヴァレ監督『Cafe de Flore』(11)などに出演。2011年3月には初の小説「La concordance des temps」を出版。

製作:リュック・デリー

92年、トロントのヨーク大学でメディア管理のMBAを取得し、映画界への道に進む。アスカフィルムとマロフィルム・ディストリビューションでは、版権取得の副責任者として、映画マーケティング、版権取得、配給など国際的な映画の売買を通じ幅広い経験を養う。97年、キャトル・パ・キャトル・フィルムズ社に参加し、プロデューサー業をスタートさせ、ジョセフ・ヒレルと共に、フィリップ・ファラルドー監督の『La Moitie gauche du frigo』(00)や、02年のサンダンス映画祭で上映されたアンドレ・トゥルパン監督『Un crabe dans la tete』(01)を製作。02年に、自らマイクロ・スコープを設立し、ゲーリー・バーンズ監督の『フィア・ストーム』(03)を製作し、トロント映画祭とベルリン映画祭で上映された。翌年、仏の製作会社オ・エ・クールとタッグを組み、03年のカンヌ映画祭のコンペティンション部門に選ばれたベルトラン・ボネロ監督の『Tiresia』を製作した。04年から07年には、『Familia』(05)『Congorama』(06)『Continental, un film sans fusil 』(07)を続けて製作し、06年のトロント映画祭では、映画祭で優れた作品にプロデューサー仲間から贈られるCFTPAプロデューサー賞を受賞。また、彼はケベックプロデューサー協会委員であり、トロント映画祭の産業事務所の諮問委員でもある。
近年では、各国映画祭で話題となった『灼熱の魂』(10)をキム・マックルーと共同で手がけ、多くの賞を受賞。本作もロカルノ国際映画祭・ロッテルダム国際映画祭で観客賞を受賞するなど各国で高い評価を受け、『灼熱の魂』に続いて2年連続アカデミー賞R外国語映画賞にノミネートする快挙を果たした。

製作:キム・マックルー

テレビ業界でキャリアをスタートし、制作管理や助監督として働く。01年に、キャトル・パ・キャトル・フィルムズ社にラインプロデューサーとして入社し、ジョセフ・ヒレルとともに、30以上ものCMや企業映像を手がけた。ラインプロデューサーを務めたドキュメンタリー「ミース・ファン・デル・ローエ」(04)は、04年のFIFA最優秀カナダ映画賞を受賞。02年、リュック・デリーと共同で、ルイーズ・アーチャンボール監督『Mensonge』やステファン・ラフルール監督『snooze』といった短編作品に携わる。
04年に、マイクロ・スコープのプロデューサーとして加わり、リュック・デリーとともに『Familia』(05)『Congorama』(06)『Continental, un film sans fusil』(07)『本当に僕じゃない!』(08)を製作。
近年では、各国映画祭で話題となった『灼熱の魂』(10)をキム・マックルーと共同で手がけ、多くの賞を受賞。本作もロカルノ国際映画祭・ロッテルダム国際映画祭で観客賞を受賞するなど各国で高い評価を受け、『灼熱の魂』に続いて2年連続アカデミー賞R外国語映画賞にノミネートする快挙を果たした。