
6月5日、フランスの西側、大西洋に面したロワール・アトランティック県ポン・シャトー生まれ。自動車修理工場を営む父と髪結いの仕事をする母のもとで暮らす。父親の反対を押し切り、ナントの美術学校で学ぶ。49年パリに上京し、51年まで写真映画学校に通った。アニメーション作家ポール・グリモー、映画監督ジョルジュ・ルーキエの助監督を務め、1956年短編『ロワール渓谷の木靴職人』で監督デビュー。以後、59年までに5本の短編を撮った。
1961年に長編第一作『ローラ』を発表。他のヌーヴェル・ヴァーグ作品と同様低予算でありながら、ドゥミが影響を受けた過去、そして同世代のさまざまな映画の引用がなされ、後のドゥミの作家性が凝縮したような作品となった。
1962年1月9日、アニエス・ヴァルダと結婚。同年、『天使の入江』を発表している。
には、念願の企画であった『シェルブールの雨傘』をカトリーヌ・ドヌーヴをヒロインに迎え発表。新たなフランス製ミュージカルとしてその独創性が評価され、64年カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞、世界中で大ヒットを記録した。ついで1966年、ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアック姉妹主演のミュージカル『ロシュフォールの恋人たち』を発表。1969年には初のアメリカ作品『モデル・ショップ』を手掛けるが、渡米以後は以前の輝かしいキャリアと比べると必ずしも成功したとは言い難く、不遇の時代が続く。70年に三度ドヌーヴを主演に迎え、『ロバと王女』、73年にはドヌーヴとマルチェロ・マストヤンニ共演による『モン・パリ』を手掛けた。
1979年には池田理代子原作のマンガ『ベルサイユのばら』を日仏合作で映画化したが、フランスではロードショー公開されず幻の作品と化している。1982年には、ドミニク・サンダを主演に故郷ナントを舞台にしたミュージカル『都会のひと部屋』、1985年には『パーキング』を監督。1988年の『想い出のマルセイユ』では、長年ドゥミとの仕事を熱望していたイヴ・モンタンを主演に迎えるも、これが遺作となった。1990年10月27日、白血病により死去。享年59歳。
《フィルモグラフィー》
1956 | 「ロワール渓谷の木靴職人」 Le sabotier du Val de Loire |
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1957 | 「美男薄情」 Le bel indifferent |
1958 | 「グレバン蝋美術館」 Musée Grévin |
1959 | 「母と子供」 La mère et l'enfant 「アルス」 Ars |
1961 | 『ローラ』 Lola |
1962 | 『新・七つの大罪 (第4話「淫乱の罪」)』 Les Sept Péchés capitaux , La Luxure |
1963 | 『天使の入江』 La Baie des Anges |
1964 | 『シェルブールの雨傘』 Les Parapluies de Cherbourg *第17回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞 |
1967 | 『ロシュフォールの恋人たち』 Les Demoiselles de Rochefort |
1968 | 『モデル・ショップ』 Model Shop |
1970 | 『ロバと王女』 Peau d'âne |
1971 | 『ハメルンの笛吹き』 The Pied Piper |
1973 | 『モン・パリ』 L'Événement le plus important depuis que l'homme a marché sur la lune |
1978 | 『ベルサイユのばら』 Lady Oscar |
1982 | 『都会のひと部屋』 Une chambre en ville |
1985 | 『パーキング』 Parking |
1998 | 『想い出のマルセイユ』 Trois places pour le 26 |