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ダ・ヴィンチとベーコンの系譜を受け継いだ
イギリス人アーティスト、
その名は、ラルフ・ステッドマン

不適切、危険、残酷、過激、反体制的-。
ラルフ・ステッドマンの画はいつもこのように評される。
カウンターカルチャーが隆盛を極めた60年代後半にイギリスからアメリカに渡った異端児は、社会への壮絶な怒りとアナーキーなエネルギーに満ちた風刺マンガで一躍名を馳せた。
国際政治や人権侵害の是正を訴えるその作品は、ザ・ニューヨーカーやローリング・ストーン誌などに掲載され、やがてそれが一人の男の目に止まる。後に生涯の友となる型破りなジャーナリスト、映画『ラスベガスをやっつけろ』の原作者としても知られるハンター・S・トンプソンである―。
本作は、『ラスベガス~』のメインビジュアルを手掛けたラルフの、ハンターとの波乱に満ちた友情物語を主軸に、ビートジェネレーションを代表する作家ウィリアム・バロウズとの交流や、ラルフの熱心な収集家として知られるテリー・ギリアム監督やビル・マーレイの協力の元に得られた貴重な映像を交えながら、創作活動の源に迫っていく。

ラルフに魅せられたジョニー・デップがインタビューとナレーションを担当、スラッシュが楽曲を提供!

ラルフの長年のファンで、『ラスベガスをやっつけろ』に主演したのが縁で、親しい間柄となった俳優ジョニー・デップが、アトリエを訪ねるところから、映画は幕を開ける。
古くギリシャ時代に生まれた“風刺漫画”の概念は、長い歳月を経て表現方法の一つとしてジャンルを確立、1960年代のアメリカで大きなうねりとなる。
「ユーモアをもてば過激な表現も許される」。その頃からラルフは、ニクソン大統領、ベトナム戦争、銃社会、公害、ヒッピー文化などを題材に、精力的に作品を発表。カメラは、以来50年余り、変わらぬ情熱を保ち続けるラルフの姿を追う。
創作現場を目のあたりにしたジョニー・デップは、時に感嘆の声を上げ、時に言葉を失いながら、市民の自由のために筆を取る一人の芸術家の素顔を引き出していく。
監督もまた、ラルフに魅せられたチャーリー・ポール。広告業界出身の彼は、CM制作の傍ら15年の歳月をかけて本作を完成させた。モーションコントローリング、16mm、スーパー8、HDを駆使してラルフの作品の数々をアニメーション化。劇中に挿入されるのも見どころのひとつ。ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュが楽曲を提供しているのも話題だ。

1936年5月16日、イギリス ウェールズ生まれ。

60年代、イギリスの社会や政治情勢を風刺する漫画家としてキャリアをスタートさせる。その後アメリカに移住。ギャリー・トゥルードーのマンガ『ドゥーンズベリー』がピュリーツァー賞を受賞するなど、「風刺マンガ」が芸術のひとつの表現方法として確立された時代に、ローリング・ストーン、インディペンデント、ザ・ニューヨーカーなどに次々と作品を発表し、注目を浴びる。日本でも、手塚治虫や赤塚不二夫などが、現実の社会や政治を風刺した作品を発表していた頃である。

1969年の渡米後、ジャーナリストのハンター・S・トンプソンと出会い、1971年に同著者「ラスベガスをやっつけろ」の挿絵をてがける。2005年にトンプソンが死去するまで、「Fear and Loathing on the Campaign Trail '72」(73)、「The Curse of Lono」(83)をてがける。フランシス・ウィリアムズ挿絵賞やWHスミス挿絵賞など多くの賞を得ており、American Institute of Graphic Artsによる1999年度の最優秀挿絵画家にも選出。今もなお健筆をふるう現役アーティスト。2013年9月のトロント国際映画祭では、本作のプレミア上映時、ライブペインティングパフォーマンスを披露した。

ラルフ・ステッドマンと政治風刺画の<伝統>

生井英考

 ラルフ・ステッドマンがその一翼をになう「政治風刺画」の歴史は古い。
 現代的な形態の風刺画は新聞事業が産業的に確立された18世紀末からの話になるが、「風刺的に描かれた戯れ絵」(カリカチュア)の理念に即していえばレオナルド・ダ・ヴィンチにまでさかのぼり、神聖ローマ帝国期の30年戦争時代に無類の策謀家ぶりを発揮したローマ教皇ウルバヌスⅧ世の門閥主義を皮肉った16世紀の戯画などは、まさに政治風刺画の伝統をいまに伝えるのである。
 他方、これに先駆けてピレネー山脈のはるか北方に起こったのが宗教改革で、こちらではマルティン・ルターがゲルマン的刻苦勉励と上昇志向を背に、重税と搾取に苦しむ農民層を糾合する効果的な教唆宣伝の道具として風刺画を利用した。文字を読めない庶民大衆を目覚めさせ、政治参加させるという政治風刺の力は、やがて20世紀にはプロパガンダの技術としても磨かれてゆくことになるのである。
 だが、風刺画の伝統といえば誰よりウィリアム・ホガース(※1)に触れないわけにはいかないだろう。もともと美術的には貧弱な風土しか持ち合わせのないイギリスにあって18世紀の英画壇を代表したホガースは、実のところ根っからの風刺絵師そのものだった。様式的にはロココ時代の典型的な画風といっていいが、作品を版画に起こして庶民に売り出し、人の世に溢れる偽善や欺瞞、腐敗、頽落のさまを容赦なく風刺して天下の評判を得た点ではジャーナリストか社会時評家にも近い。実際、「放蕩息子の一生」にせよ「ある娼婦の一生」にせよ、はたまた急速に肥大する大都市下層の底が抜けたような退嬰を描いた「ジン横丁」の連作にせよ、いわゆる道徳的教訓画とはいうものの、今日の目から見ると後世の社会改良主義に通ずる市民的危機意識の目覚めを感じさせるのである。
 ちなみにホガースの場合、幾枚かの図を組み合わせて時間の経過を表現しているところなど、基本的に一枚絵(タブロー)の多い風刺画の歴史にあって、のちのコマ漫画にも通じる側面を持っていると指摘されているのも興味深いところだろう。

 話がヨーロッパの大陸部から島嶼部までおよんだので、ついでにアメリカ合衆国についても触れておこう。ここでは1754年、名にしおうベンジャミン・フランクリン(※2)が独立前の北米植民地各州に対してフレンチ・インディアン戦争に「加わるか、しからずんば死か」を迫った有名な戯画が、アメリカにおける政治風刺画の草分けとして知られている。万能の偉才フランクリンはほとんど独学で身を起こした印刷業者でもあって、毎年発行する暦に「時は金なり」「財布軽けりゃ心は重い」「多すぎる金は無駄な金」「馬鹿をする者が馬鹿」など自らこしらえた箴言を掲載して、机上の空論を嫌うアメリカ庶民の心をしっかり捉えたのである。
 その後、アメリカ的な風刺画の伝統は、南北戦争からいわゆる金ぴか時代にかけて活躍したトマス・ナスト(※3)をもって確立されることになる。当時、ニューヨーク市政は地元の労働者階級に多いアイルランド系移民のコミュニティをたばねて市庁舎と議会を牛耳るウィリアム・「ボス」・トウィード麾下の通称「タマニー・ホール」の勢力下にあったが、ナストの戯画はこのトウィード一派の腐敗政治を『ハーパーズ・ウィークリー』誌上で容赦なく笑いものにした。その絵図は『ハーパーズ』を読むような中間市民層だけでなく、英語を読めない新移民たちへの影響という点でも効果絶大で、アメリカのジャーナリズムが今日にまで誇る「権力のウォッチ・ドッグ(監視役)」という大事な責務を支える伝統の一部ともなったのである。
 ついでながら、私たちが今日親しんでいるサンタクロースの「大きな笑顔を浮かべた白ヒゲと赤い服の太っちょおじいさん」という姿は、もともとナストが原型を描き、それを20世紀に有名なイラストレーター、ノーマン・ロックウェルが引き継いで完成させたものだという愉しい挿話も紹介しておきたい。

 ところで映画『マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン』を見終えて、ちょっと意外の感に打たれた。かつて傲岸不遜の代名詞ともいうべき「ゴンゾ」ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンの相棒として鳴らし、まさにホガースやナストの衣鉢を継ぐ辛辣の硬骨漢ステッドマンが、終盤、おどろくほど気弱で傷つきやすい老絵師の横顔をかいまみせるのである。
 いまや70代の後半を迎え、功成り名遂げながらもにじり寄る鬱々たる老いの陰りをたたえた彼は、息子ほども齢の離れた友人ジョニー・デップに向かってこうつぶやく――「まだアーティストだってことを証明できてないんだ。単なる漫画描き(カートゥーニスト)でしかない、戯れ絵師でしかないってね」
 フィルムであればおそらく数万フィートぶんを回しただろう丁寧な取材と、デップが寄せる敬愛の念のおかげでこそ出てきた偽らざる一言に違いないのだが、それだけにこの科白は、ほとんど独学でみずからの画境を築いたステッドマンの心中に、実はひそかに深くハイアートへの渇望が横たわっていることを図らずもしのばせる。それは老いにつきものの気鬱と自省の産物であるというだけでなく、1960-70年代のカウンターカルチャーを通して文化の伝統的な敷居を荒々しく踏み越えた世代に実は意外なほど根強い、裏返された権威主義の表れでもあるだろう。
 と同時に、しかしそれはやはり、ペン一本で世界を変えてみせると豪語したかつての叛逆児が現今の世界のありさまを目の当たりにしたときの、何とも形容しがたい無力感ともつながっているには違いない。いま世界は彼らが若かったころとは打って変わった姿をさらし、希望は憎悪に、やんちゃは粗暴に、反抗は自閉に転じ、繊細な微笑や苦笑は消え失せて、嘲笑と底の抜けたような哄笑ばかりがあたりを覆っているようにすら感じられる。それが果たして何に由来するのか――という話はここでは手に余るとして、ともあれそんなわけでデップの幕切れの一言が、ことのほか愛情深いものに響くのかもしれない。
 「まちがいないよ、ラルフ。あなたこそインスピレーションなんだ。理由なんていらないさ」

 

(いくい・えいこう)
1954年生まれ。 立教大学教授。 映像史・アメリカ研究。 著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』、『負けた戦争の記憶』など。訳書にティム・オブライエン著『カチアートを追跡して』、アラン・トラクテンバーグ著『アメリカ写真を読む―歴史としてのイメージ』(石井康史共訳)がある。

※1)ウィリアム・ホガース
William Hogarth(1697-1764)
近代英国絵画の創始者。主に版画で活躍。17世紀オランダ風俗画の伝統を継承しつつも、登場人物の視線を交錯させたり、顔の表情に劇的効果を与えることによって画面に生気をもたらし、勤勉を尊ぶ資本主義勃興期の市民階級の倫理観に根ざした、新しい風俗画を確立した。 代表作「放蕩息子の一生」は、主人公トム・レイクウェルが、父の遺産を相続してから放蕩の末に狂人として精神病院に収容されるまでを綴った年代記である。

※2)ベンジャミン・フランクリン
Benjamin Franklin(1706-1790)
アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。作家や新聞の発行人としても知られ、当時の字が読めない人々のために、最初に新聞にポリティカル・カートゥーン (政治的な漫画)を取り入れた。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。米100ドル紙幣にはフランクリンの肖像が描かれている。

※3)トマス・ナスト
Thomas Nast (1840-1902)
ドイツ生まれのアメリカ人。「アメリカ風刺画の父」と呼ばれる政治風刺画家。NYを拠点とした政治雑誌だったHarper's Weeklyなどの媒体で活躍し、一時期は大統領選挙の結果にも影響を与えるほどの力を持った。太ったサンタクロース像を始めとして、アメリカの象徴であるアンクル・サムやミス・コロンビア、共和党の象や民主党のロバのロゴ等を創作したことでも知られる。

都道府県 劇場名 公開日 前売り券

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シアタードーナツ・オキナワ

10月15日(水)〜10月30日(金)