Director
監 督
Agnes varda
アニエス・ヴァルダ
1928年5月30日、ベルギー・ブリュッセル南部生まれ。ギリシャ人の父とフランス人の母を持ち、4人の兄弟と共に育った。第二次世界大戦中の1940年、母親の出身地である南仏の港町セートに家族で疎開、船上生活を送る。パリのソルボンヌ大学で文学と心理学を専攻した後、ルーヴル学院で美術史を、写真映画学校の夜間クラスで写真を学ぶ。1947年、俳優で舞台演出家のジャン・ヴィラールが創設したアヴィニヨン演劇祭の記録写真家としてジェラール・フィリップらを撮影。ヴィラールが芸術監督を務める国立民衆劇場(TNP)の専属写真家も務める。1954年、『ラ・ポワント・クールト』を26歳で自主制作し、本作は、ヌーヴェル・ヴァーグに先立つ先駆的な作品として評価され、ヴァルダが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるきっかけとなった。
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1961年に初の長編商業映画『5時から7時までのクレオ』を発表し、1964年『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。その後、ハリウッドに渡る夫ジャック・ドゥミに同行しヴァルダも渡米する。渡米中もカウンターカルチャーが台頭した1969年のハリウッドを舞台にした『ライオンズ・ラブ』や、LAのストリートアートを捉えた『壁画、壁画たち』を発表。フランスに戻り、1975年、自宅兼事務所を構えるダゲール通りで『ダゲール街の人々』を撮影。その翌年、フェミニズム運動を背景に、二人の女性を描いた『歌う女・歌わない女』を手掛け、1985年『冬の旅』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。
1990年10月27日、闘病中だったドゥミが死去。『ジャック・ドゥミの少年期』の撮影終了から10日後のことだった。
2000年には『落穂拾い』でヨーロッパ映画賞等を受賞し、自身も精力的に活動する。そして2003年、写真家、映画作家に続く3つ目のキャリア“ビジュアル・アーティスト”としての活動を開始。ヴェネチア・ビエンナーレの「ユートピア・ステーション」でジャガイモをテーマにした「パタテュートピア」を発表。
2008年、『アニエスの浜辺』を発表し、セザール賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。2015年にカンヌ国際映画祭名誉パルムドールを、2018年に米アカデミー賞名誉賞を受賞する。2017年に手掛けたフランス人アーティストJRとの共同監督作『顔たち、ところどころ』では、カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、トロント国際映画祭観客賞など多数受賞。
2019年、自身の60年以上に及ぶ創作の歴史を語りつくしたセルフポートレイト『アニエスによるヴァルダ』を携え2月のベルリン国際映画祭に出席し元気な姿を見せるが、翌月の3月29日、パリの自宅兼事務所で息を引き取る。享年90歳と10ヶ月。
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