蟻の王

愛と誇りだけは、誰にも奪えない。

イタリアの名匠ジャンニ・アメリオ最新作

この国に同性愛者は存在しない。 ゆえにそれを裁く法も必要ない──。 そんな時代に、ふたりは恋に落ちた。 青年は矯正施設に送られ、 詩人は若者をそそのかした“教唆”の罪に問われた…。

11/10(金)ロードショー

11/10(金)ロードショー ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか

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TRAILER

予告編

INTRODUCTION

実在した芸術家アルド・ブライバンティとその恋人エットレ、 過酷な時代を生きた、二つの魂の軌跡を描く───。

1960年代、ポー川南部の街ピアチェンツァ。詩人で劇作家、蟻の生態研究者でもあるアルドが主催する芸術サークルには、多くの若者が集っていた。そんな中、アルドは若者の一人エットレと惹かれ合い、二人はローマに出て生活を始める。しかしエットレの家族は二人を引き離すため警察に通報、アルドはファシスト政権下に成立した教唆罪で逮捕され、エットレは矯正施設に送られ、同性愛を“治療”するための電気ショックを幾度となく受けることになる。世間の好奇の目に晒されながら、裁判が始まった。傍聴に通う新聞記者エンニオは、社会の不寛容に声を上げるのだが…。

名匠ジャンニ・アメリオ監督が、今の時代にこそ問い直す“人間の尊厳”。 数々の新人賞に輝く新星レオナルド・マルテーゼ、渾身の演技!

カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作『小さな旅人』(‘92)では施設に送られる幼い姉弟と憲兵の旅を、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作『いつか来た道』(‘98)では、都会に働きに出た兄弟の葛藤を、『家の鍵』(‘04)では若き父親と障がいをもつ息子の物語を、常に他者と理解し合うことの難しさ、大切さを描き続けてきたイタリアの名匠ジャンニ・アメリオが新作の題材に選んだのは、差別と偏見に立ち向かい愛を貫き通そうとする人々の物語。「今も存在する“異なる人”に対する憎悪に立ち向かう勇気を与えたい」と、その製作の動機を語る。イタリア映画界を代表する名優ルイジ・ロ・カーショ、エリオ・ジェルマーノに加え、ヴェネチアで新人賞2冠に輝き、マルコ・ベロッキオ監督の新作「RAPITO」(原題)にも出演する新星レオナルド・マルテーゼの全身全霊の演技が胸を打つ。

STORY

罪という字を消して勇気と書く。愛という字を消して君と書く…。

1959年春、イタリア・エミリア州ピアチェンツァ。詩人で劇作家、また蟻の生態研究者でもあるアルド・ブライバンティ(ルイジ・ロ・カーショ)は、芸術サークルを主催し、そこには多くの若者が集っていた。ある日、兄に連れられ、エットレ(レオナルド・マルテーゼ)という医学を学ぶ若者がやってくる。アルドが探していたクロナガアリを持ってきたことで、二人は初めて言葉を交わす。芸術や哲学など、あらゆる話題を語り合い、互いに魅了され、仲を深める二人。エットレはアルドの元に通い詰めるようになるが、エットレの母親は二人の関係に憤り、あろうことか、教会でアルドの母親であるスザンナを罵るのだった。 5年の月日が流れた1964年の春。ローマに出て充実した生活を送っていたアルドとエットレだったが、ある朝、エットレの母親と兄が二人の部屋に突然押しかけ、エットレを連れ去ってしまう。エットレは同性愛の“治療”のために矯正施設に入れられ、アルドは教唆罪に問われ、逮捕されてしまう…。

「我が国に同性愛者はいない
    
   
ゆえに法律もない」—ムッソリーニ

1968年夏、イタリア・ローマ。イタリア共産党機関紙「ウニタ」の記者であるエンニオ(エリオ・ジェルマーノ)は、新聞報道でアルドが教唆罪で逮捕されたことを知る。刑法には同性愛という言葉すら載っていないのに、同性愛者のアルドが教唆の罪に問われたことを不審に思い、取材することに。そして、ついにアルドの教唆罪裁判が始まる─。

アルド・ブライバンティ
Aldo Braibanti 1922-2014

イタリアの詩人・劇作家・演出家。第二次世界大戦中はレジスタンスに身を投じ、戦後は芸術活動に専念。教唆罪に問われた“ブライバンティ事件”では、マルコ・ベロッキオ、ピエル・パオロ・パゾリーニら映画監督、ウンベルト・エーコ、アルベルト・モラヴィアら作家がブライバンティの無罪釈放を求め活動した。蟻の生態学者としても知られている。

DIRECTOR

ジャンニ・アメリオ
ジャンニ・アメリオ
GIANNI AMELIO

PROFILE FILMOGRAPHY

Directors Statement

この作品は、暴力と偏見の鈍感さについての、または同調主義と偽善にさらされる愛についての映画。経済的な発展と、人々の物事に対する意識が同じペースで成長しなかった、重要な60年代イタリアの地方生活の一面を描いている。感情の開放として。家族という閉鎖的なコミュニティでは、世代間の不和が激しく対立している。半世紀以上経った今でも、この事件には不穏な要素が含まれている。
見る人は不思議に思うかもしれない。「どうしてこんなことが可能だったのだろう?」「どうしてこんなことが起こったのだろう?」と。今日において、表面的には誰もスキャンダルを起こすようなことはしなくなったが、「蟻の王」には、異端審問のようなものがあり、私たちは今でもそれを毎日目撃している。なぜなら、本質的にはあまり変わっていないからだ。
寛容そうに見える表情の裏には、偏見が存在し続け、「異なる」人に対する憎悪や軽蔑を生み出している。今はもう、保護されていない個人に対するいかなる虐待に屈したり、容認したりする時代ではない。人々の心に、反抗する勇気を刻み付けるためにこの映画は作られた。

CAST

THEATER

都市劇場名TEL公開日

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