2019年3月29日、映画史にその名を刻む女性監督アニエス・ヴァルダがパリの自宅で息を引き取った。享年90歳と10ヶ月。前月にベルリン国際映画祭で最新作『アニエスによるヴァルダ』がプレミア上映され、舞台挨拶に登壇。元気な姿を見せた直後の訃報に、地元フランスの映画人はもちろん、世界中のシネフィルたちが驚き、その死を悼んだ。
その遺作がいよいよ日本公開を迎える。監督のみならず、写真家、ビジュアル・アーティストとして活躍した彼女の、60年以上に及ぶ創作の歴史(54年のデビュー作から、世界の映画賞に輝いた前作『顔たち、ところどころ』(17)まで)を、豊富なフッテージと本人の軽妙なナレーションで語りつくしたセルフ・ポートレイト。そのチャーミングな人柄に魅了され、彼女が歩んできた足跡に感嘆すること間違いなしのドキュメンタリーだ。
また、本作の公開に際して、ヌーヴェル・ヴァーグ誕生前夜、1954年に製作された長編劇映画デビュー作『ラ・ポワント・クールト』、事務所兼自宅を構えるパリ14区の商店街の人々の暮らしを点描した1975年の傑作ドキュメンタリー『ダゲール街の人々』の2作品も、このたび劇場初公開の運びとなった。
── アニエス・ヴァルダ
(『アニエスによるヴァルダ』より)
1928年5月30日、ベルギー・ブリュッセル南部のイクセル地区に生まれる。ギリシャ人の父とフランス人の母を持ち、4人の兄弟と共に育った。第二次世界大戦中の1940年、母親の出身地である南仏の港町セートに家族で疎開、船上生活を送る。
パリのソルボンヌ大学で文学と心理学を専攻した後、ルーヴル学院で美術史を、写真映画学校の夜間クラスで写真を学ぶ。1947年、俳優で舞台演出家のジャン・ヴィラールが創設したアヴィニヨン演劇祭の記録写真家としてジェラール・フィリップらを撮影。その後、ヴィラールが芸術監督を務める国立民衆劇場(TNP)の専属写真家も務める。
1954年、当初小説にするつもりだった『ラ・ポワント・クールト』を26歳で自主制作する。映画自体あまり観たことがなかったヴァルダだったが、アラン・レネらのサポートのもと完成させる。思春期を過ごした南仏セートで撮影した本作は、ヌーヴェル・ヴァーグに先立つ先駆的な作品として評価され、ヴァルダが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるきっかけとなった。
処女作から7年後の1961年に初の長編商業映画『5時から7時までのクレオ』を発表。翌年、映画監督のジャック・ドゥミと結婚する。1964年『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。その後、ハリウッドに渡るドゥミに同行しヴァルダも渡米する。
フランスに戻った1972年、ドゥミとの間に長男マチューを授かる。1975年、自宅兼事務所を構えるダゲール通りで『ダゲール街の人々』を撮影。子育てという制限がある中で、自宅からつないだ電源ケーブルが届く範囲内で撮影するという、逆転のひらめきから誕生した作品である。その翌年、フェミニズム運動を背景に、二人の女性を描いた『歌う女・歌わない女』を手掛け、1985年『冬の旅』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。
1990年10月27日、闘病中だったドゥミが死去。『ジャック・ドゥミの少年期』の撮影終了から10日後のことだった。愛する夫の功績を残す活動をする一方で、1994年には、映画生誕100年を記念した映画『百一夜』を制作、2000年には『落穂拾い』でヨーロッパ映画賞等を受賞し、自身も精力的に活動する。
そして2003年、写真家、映画作家に続く3つ目のキャリア“ビジュアル・アーティスト”としての活動を開始。ヴェネチア・ビエンナーレの「ユートピア・ステーション」でジャガイモをテーマにした「パタテュートピア」を発表。2006年には、カルティエ現代美術財団の依頼で、展覧会「島と彼女」を手掛ける。最愛の夫ドゥミと過ごした思い出深い島、ノワールムーティエをテーマにした数々のインスタレーションが展示された。
2008年、『アニエスの浜辺』を発表し、セザール賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。2015年にカンヌ国際映画祭名誉パルムドールを、2018年に米アカデミー賞名誉賞を受賞する。2017年に手掛けたフランス人アーティストJRとの共同監督作『顔たち、ところどころ』では、カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、トロント国際映画祭観客賞など多数受賞。
2019年、自身の60年以上に及ぶ創作の歴史を語りつくしたセルフ・ポートレイト『アニエスによるヴァルダ』を携え2月のベルリン国際映画祭に出席し元気な姿を見せるが、翌月の3月29日、パリの自宅兼事務所で息を引き取る。享年90歳と10ヶ月。
長編劇映画監督デビュー作『ラ・ポワント・クールト』(55)から、世界各国の数々の映画賞に輝いた前作『顔たち、ところどころ』(17)まで、ヴァルダが60余年の自身のキャリアを振り返る、集大成的作品。飽くことのない好奇心と情熱をもって、死の直前まで創作活動を止めることのなかった彼女の、これは遺言状ではなく未来へのメッセージ。〈第69回ベルリン国際映画祭 正式出品作品〉
ゴダールの『勝手にしやがれ』よりも5年、トリュフォーの『大人は判ってくれない』よりも4年も早く製作された、「ヌーヴェルヴァーグはここから始まった」と言っても過言ではない伝説的作品。
南仏の小さな海辺の村を舞台に、生まれ故郷に戻ってきた夫と、彼を追ってパリからやってきた妻。終止符を打とうとしている一組の夫婦の姿を描く。
自身が50年以上居を構えていたパリ14区、モンパルナスの一角にあるダゲール通り。“銀板写真”を発明した19世紀の発明家の名を冠した通りには肉屋、香水屋…、様々な商店が立ち並ぶ。その下町の風景をこよなく愛したヴァルダが75年に完成させたドキュメンタリー作家としての代表作。人間に対する温かな眼差しと冷徹な観察眼を併せ持ったヴァルダの真骨頂。
■アニエスについて /『アニエスによるヴァルダ』
■『ラ・ポワント・クールト』 ■『ダゲール街の人々』 / 順不同
アニエス・ヴァルダによる自作の解説はまるで、彼女の冒険に満ちた長い映画人生のアンコールのよう。ブラヴォーと叫んで拍手して、何度でもアニエスをスクリーンに呼び戻したい。
何度でも彼女の映画をスクリーンで見たい。
アニエス・ヴァルダ監督の『幸福』に出会った時が、私が映画に出会った瞬間だったと思います。
そして、今回の三作品を観て思ったのは、人生の憧れの先輩、彼女のように生きられたら、幸福だなと。ありのままを愛し、そこにユーモアと美しさを見出す、難しいけど、そうありたい、そんな風に思いました。
奇心を最高のアイデアに変えることができた人。
他者への想像力を忘れなかった人。反骨の人。
ヴァルダの目を通して見える世界の厳しさと、彼女がその世界に加える優しさに、私はこれからもずっと魅了され、驚き続けると思う。
彼女はなんてチャーミングな革命家なんだろう!
ドキュメンタリーやフィクション、映画やアートといった枠を薙ぎ倒しながら、私たちのひとりひとりの日常をどこまでも輝かせてくれる。
アニエスのように活きいきとピュアにチャーミングに、そして「衝動」が突き動かすがままにクリエイションを続け、たくさんの人と「共有」していきたいなって思いました。
クリエイターとして、彼女は私の理想です。
僕はヴァルダさんに本当に会ったことがない。本当にあったことがないはずなんです。なのにヴァルダさんが出てくるたび、親しみと懐かしさがどんどん増してくる。
もしかしたら僕はこの講演に行ったことがあったのかもしれない。
彼女のドキュメンタリーには、それにありがちな押し付けがない。かわりに愛らしさと可笑しさで観客を引きつける映像は、アニエスそのものだ。
貴女の〝軽やかな遺書〟しっかりと受け取りました。
ハートのかたちのジャガイモからたくさんの芽が飛び出している。ただのジャガイモが彼女の目を通すと愛おしい存在となり、不格好な芽から生の息吹を感じ、一度見捨てられたものが価値あるものに昇華されていく。
そのようにして彼女は些細な物事を眼差すことから世界を紐解いていく。それは押し付けがましくなくて、わたしたちに想像する自由と、分かち合うことの気づきを与えてくれるのだ。
アニエス、素晴らしい女性。
同じ時代を
すこしでも生きられたことを
幸運に思います。
©higuchi yuko
出会ったことがない、人々や、街角や、岬、そこに在るもの全部に、何か親しみを感じ、懐かしさを感じ、そして方角は未来に向かっていく。
彼女の作品に出会った時、私の好きな映画そのものがそこにあって、私は好きなものを探しているうちに、知らぬうちに彼女に影響を受けていたんだと思った。
アニエス、あなたが生きてきた時間を分けてくれてありがとう。
26歳の写真家ヴァルダは、少女時代を船のなかで過ごした海辺の町に帰り、その漁村でパリから来た夫婦の愛の不毛のドラマを撮った。太陽の光が照り、海の微風がそよぎ、その風景を永遠に変えた。
そして、それが〈ヌーヴェル・ヴァーグ〉に先立つ映画の革命になった。
網やボート、魚や貝、道路や家や人々がただそこに映っているだけで映画が始まってしまう。
つまり彼らやそれぞれのものをとりまく状況や時間がカメラに撮られるだけでざわめきたち動き始めスクリーンの向こうからこちらへとやってくる。
ひとつショットごとに新たな映画が始まりそれらの関係と集積がさらに大きな映画を作り始めるのだ。
わたしたちは今もなおこの映画の中に生きているのだと思う。
猫好きは何が何でも見るしかない。
冒頭の、路地を捉えるたっぷりと大気を孕んだショットを見てもうこの映画の虜になった。
まるでネオレアリズモのような市井を捉える眼差しと、男女が歩き語り合うだけで映画が弾むヌーヴェル・バーグの瑞々しさが同居する、なんて贅沢な時間だろう。
不意打ちのような美しさに何度も声を上げそうになった(実際に上げた)。
すべての始まりはここから! ヴァルダが終生愛した、ダゲレオ写真の発明家の名に因んだパリの裏通りには、アコーディオンの調べが響き、バゲットの香ばしい匂いが漂い、夜更けまでミシンの音が聞こえる。「ダゲール村」のポートレートは、わたしたちをノスタルジックな素顔のパリにタイムトリップさせてくれる。
日常というイリュージョンは、どんなマジシャンにも起こせない。人、街並み、時の流れ。何の変哲も無い当たり前のものたちが、ヴァルダの眼差しの中で特別な光を放っていた。
日常とはこんなにも可笑しく、愛しいものか。
私が今いるこの場所はパリ14区ではないけれど、彼女のフィルムを観たあとで、明らかに色を変えた。
ある一つの通りで長年店を営む人々の生活に密着したダゲール街のドキュメンタリー映像ではそれぞれ専門店を営むベテラン職人達の手仕事の動きに見惚れてしまう。
肉屋の主人の気持ちの良い捌きっぷり、パン屋の主人のタネの仕込み。そして長年連れ添った夫婦達に馴れ初めを聞くインタビューも意外と素直過ぎて微笑んでしまう。
特に元祖キオスクみたいな店の優しい御主人と、今は少々危ういが昔はかわいかったであろう妻という年老いた夫婦の場面は、ドキュメンタリーならではの恐ろしくも美しい秀逸な場面だ。
パリの街が変貌していく中、ずっと同じ通りで生きる勤勉な人々が互いに支え合って人生を歩んでいく日常はとても尊くて素敵だった。
「嘘の世界に本物を混ぜる」
映画という嘘の世界では、人は死なないし世界が崩壊することもない。真っ赤な嘘。
なのに私たちは嘘だらけの世界を作り上げるし、お客も本物に逢いたいと渇望する。
この映画の中で、アニエスが嘘と本物に向き合い続ける姿は、紛れもない真実の時間だった。
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ヴァルダについて
アニエス・ヴァルダには、きらめきと創造、勇気と忍耐があった。現実を見つめる厳しい目と、愛に溢れたやさしさがせめぎ合い、生きる力となって、ヴァルダを前進させた。
彼女の素晴らしさは、女の心、肉体、その内部を言葉ではなく、映像で表現したこと。同時に、一本のバゲットをみんなで分かちあう喜びも現す女であった。
秦 早穗子(映画評論家)